2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

デビュー20年目に思う

今年の春は大学入学から数えてちょうど20年。高校までのレールに乗って進めばOKな年代から一歩踏み出し、いわば「大学デビュー」してから20年が過ぎたわけだ。オッサン化するわけだよなぁ。20年前はちょうどバブルがはじけた頃で景気は悪かったというが、初…

どうなる?大和跡

ぶらっと立ち寄れてのんびりできて、街の賑わいにつながり、商売上もうまくいく。そんな夢みたいな施設が実現するといいんだけど…。きょう大和新潟店跡1階のコミュニティースペース「ふれ愛古町」が約8ヵ月の営業を終了した。当初は税金を使ってまでデパー…

30年前に戻れるか

“私たちが暮らしている今の電力の使用量って、東京電力管内で言うと、1980年代くらいの量にすれば、今の供給量で間に合うんですよ。だから、暮らしを30年前に戻せば、やってけるんですね“ ◇久米宏と池上彰の「ニュースなんですけど」 - 虚馬ダイアリー http:…

ラジオ福島がすごい

地震発生からきょうで2週間。ずっと24時間生放送で、地元福島の地震関連ニュースやライフライン情報、安否確認情報などを放送し続けているラジオ局がある。◇rfcラジオ福島・震災特別番組 on USTREAM http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio土曜夜に福山雅…

ベースは原子力発電

彼が存命だったら、今のこの状況をどう歌うだろう。◇RCサクセション サマータイムブルース〜LOVE ME TENDER http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do&sns=em20年以上前に歌われた曲なんだけど、まるで今のこの状況を予言していたかのよう。「牛乳を飲み…

できること、できないこと

何もできないという無力感。何かできることはないかという焦燥感。僕らだけでない。超ベテランのアーティストも同じ思いなのかも、と思ったのがこのラジオ番組。 ◇山下達郎さん サンデーソングブック「震災特別プログラム」 http://yamashitatatsuro.blog78.…

古町を避難所に?

大和新潟店の跡は、3階より上は何にも使われず空いているはず。こういう時にこそうまく活用できないかな、と思うんだけど。東日本大震災で新潟県内各地に避難してきた方の数が1万人を超えたという。新潟市内でもきょう現在で6カ所に3千人を超える方が避…

自己完結するということ

六本木ヒルズとかミッドタウンとか、街ごとに競うように点灯しているイルミネーション。何かこれって変じゃない?と思ったんだよなぁ。先日のブログで「自己完結」というのを書いた。いまボランティアなどで被災地に行くなら、自分の食事や飲料水、クルマの…

計画停電エリアを知る

ついに明日から新潟でも計画停電が始まる。対象エリアはなかなか分かりにくいんだけど、下記の(1)で対象の市町村区を探し、さらに(2)で詳しい町名などを探すのがいいようだ。(1)【計画停電】16〜18日の県内対象地域〜新潟日報net park http://www.n…

震災で分かってきたこと

今回の地震で陥没した西堀ローサ入口前は、今日にはすっかり復旧していた。こうしてすぐ復旧するレベルならまだいいんだけど…。東北地方太平洋岸に暮らす身内は、幸い家族全員の無事が確認できた。津波も自宅から見えるくらいまで押し寄せたけど、自宅は大丈…

他人事ではない大地震

7mを超える大津波が襲った太平洋岸の港から3キロほどのところに、実は身内が住んでいる。地震が発生した直後に家族みな無事のメールが来て一旦は安心したんだけど、その後は全く連絡が取れなくて…。きょう午後発生した東北地方太平洋岸の巨大地震。想像を…

高校入試は難しい!

これ、やってることは「京大カンニング事件」とほとんど一緒のような…。ヤフー知恵袋ではなくてTwitterでも、数十分で正解を教えてもらえた。昨日の新聞に載ってた高校入試問題。高校入試ってことは中学レベル、さすがに僕でも解けるだろうと思い、数学の問…

早川堀に続いて西堀も?

前回「西堀の復元は夢物語」なんて書いておいて、すぐこういうことを書くのもどうかと思うけど、早川堀にできるなら西堀でも不可能ではないかも。先日行われた堀割再生シンポジウムで、シモの早川堀通りに水辺を配した緑地帯を整備するという報告があったと…

西堀復活と「象の鼻」

西堀に堀を復活するのは夢物語かな。でも例えば西堀通りの歩道の一部をガラス張りにして、地下に眠っているというかつての西堀の石組みを見せるくらいならできるかも。横浜の「象の鼻」みたいに。きょうクロスパルで行われた堀割再生シンポジウム。残念なが…

新潟=シリコンバレー?

思い出したのが映画「ソーシャルネットワーク」。類い希な才能のある天才と、彼の起業に投資するファンドたち、そして双方を結びつけるつなぎ役の人間。明治期の日本にもそんな人々が次々新事業を興す時代があり、多くの新潟人が関わっていた。聞いてるだけ…