当たり前と思ってはいけない

furumachi2013-06-15

「こんばんは、いらっしゃいませー。ありがとうございました、お気をつけてお帰りください。またどうぞお越しくださいませー」

万代での飲み会の帰り道、萬代橋近くのコンビニでトイレを借りて、それだけでは申し訳ないので缶コーヒーを手にレジに向かう。ここの店員さんの元気な挨拶は朝も夜も変わることがなくてありがたいんだけど、缶コーヒー1本でここまで言われると恐縮してしまう。

作家の大石哲之氏は自身のブログでこう書いている。
『過剰なサービスを提供していることで、日本人は度をこした労働を強いられているという指摘。どう考えても働く人の賃金を超えた過剰な労力をかけている』
僕が元気をもらう挨拶が、店員さんをすり減らし、お店自体もすり減らしているとしたら。うーん。

・「日本に殺されず幸せに生きる方法」どう考えても必要ない過剰なサービスを提供していることで、日本人は度をこした労働を強いられている - 大石哲之のノマド研究所
http://nomad-ken.com/1998

ちなみにこのコンビニチェーンは、中国にもお店がある。上海空港にあるこのコンビニで、ビールとおつまみを買い込んで袋に入れるようお願いしたら、店員さんは一言、「没有(ありません)」。郷に入れば郷に従え。冷たいビールと温かいおつまみを抱えて、トランジットホテルまで帰りましたよ、はい。

マレーシアの日系某スーパーでは、若い店員さんたちが売り場の什器に座り込んでダベっているのを見かけて衝撃を受けた。でもこの時に、日本のどこでも見られる過剰なまでに統率のとれたホスピタリティの高さって、日本でしか通用しない「ガラパゴス」なものなのかも…と気づいたのだ。

過剰なホスピタリティが労働生産性を落とし、この国自体をすり減らしている? このホスピタリティに慣れてしまって、ビジネスクラスに乗る無愛想な日本人ビジネスマンのようになってしまってはいけない。…そんなことを思いながら、萬代橋を渡り我がホームの古町へ向かった夜なのだった。