似てる?シモと横浜中華街

furumachi2012-10-31

新潟シモの道は複雑で分かりにくいと、よく言われる。道を歩いてて、どの方向に向かっているか迷わなくなったら、僕も地元民の仲間入りなのかなぁ…って、横浜に暮らして中華街を歩いた時も同じことを思っていた。そうか、街の成り立ちが一緒だからか!

横浜で暮らした学生時代から、道が海岸線と直交している関内周辺で、中華街だけ道が斜めに交差しているのはなぜだろう?とは思っていた。でもその理由を知ったのは、つい最近のことだったりする。横浜の街の成り立ちはこのサイトが詳しい。

iPhoneアプリで横浜の時を遡る体験 ー横濱時層地図ー | 地球のココロ:@nifty
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/iphone.html?page=4

もともと横浜というのはその名の通り、入江の入口に横に張り出した砂州だった。それが江戸時代から内海の部分が徐々に埋め立てられ、今の街ができていった。なかでも今の中華街の場所は、今の石川町駅の辺りから砂州を斜めに結ぶように埋め立てられ、街路が作られていった。だからここだけ斜めに交差しているのだ。

一方、新潟シモ界隈の街がどのように形成されたかは、このサイトが驚くほど詳しい。

・まちあるきの考古学 | 新潟 | 信濃川河口の2つの港町を起源とする町
http://www3.koutaro.name/machi/niigata.htm

入船町や湊町、礎町の一帯について『これらの町は堀割りや街路構成が古町とは異なるので、もしかすると、地図上の萬代島のように、かつては信濃川河口にあった砂州の一つで、阿賀野川河口が付替えられた江戸中期以降に陸地化が進み、新潟古町の一角として町割りされたのかもしれません』とある。

つまりもともと島状の砂州がいくつかあったのが、それぞれ年代を超えて開発が進み街路が作られ、徐々に間の水路が埋め立てられ一体化していったということのようだ。だから今も「島」ごとに街路の向きが違っている。横浜中華街がいくつもある感じと言ってもいい。

複雑で分かりにくいと言われるシモの街だけど、どこまでがひとつの島かが分かれば理解は早い。くねくねした道はだいたい島と島を隔てた水路の跡だと思っていい。ああ、この道から右側と左側はかつては別の島だったんだ…なんて思いながら歩くのも面白い。

横浜中華街には「シルクロード」と呼ばれる道がある。ハイカラで西洋的な元町と、東洋の中華街を結ぶからシルクロードなのだとか。なかなかいい名前だ。新潟シモなら何と付けようか。対岸ロシアを意識して「ロシアンルーレット」なんてどうかな。どの道が正解か、なかなか分からないから…。やっぱり複雑なんだよね。