大きな木が育つ街で思うこと


ちょっと見えにくいけど、大きな木の向こうに見えるのがクアラルンプールのシンボル、ペトロナスタワー。たしかに高いビルなんだけど、それを隠すほどの熱帯の木のもさもさっぷり。活気あふれるこの街を象徴している気がする。

クアラルンプール2日目。子どもたちと妻がコンドミニアムのプールで遊んでいる間に、ひとりで街なかを散策してきた。本当はマレー人街やインド人街、中華街などを見て歩きたかったんだけど、電車の接続が悪かったりして、ペトロナスタワーを見たくらいで終わってしまった。

それでも活気あふれる街の様子は感じることができた。街のどこでも、中国系、イスラム系、インド人などいろんな人種の人たちが、(パッと見は)それほどの違和感もなく過ごしている。普段ほとんど日本人しかいない街に慣れきっている僕らからすると、新鮮なのと同時に不思議な気さえしてくる。

例えばテレビを観ているだけでも、CMは中国語と英語が半々くらい、ドラマが始まったら中国語のセリフにマレー語の字幕、スポンジボブにいたってはどうやらマレー語の吹き替え版らしい。この国で起こるすべてのことを理解するには、マレー語、英語、中国語の3つとも理解しなくてはならないってこと? うーん。

でもきっと本当はそんなことはなくて、それぞれ言葉は違っていても何となくバランスを取りながら暮らしているのだろう。だから僕も(言葉ができない言い訳っぽいけど)無理して「Thank you」「謝謝」ではなく「ありがとう」と言うことにした。そうすると相手も「アリガトウ」と返してくれる。これがこの街のバランスなのかなぁと。

長男もこのことを理解してかどうか、本当にこの街を居心地がいいと感じてくれているようだ。世界は広い。でも人類みな兄弟。日本人しかいない環境に慣れてしまうから、ついつい小さな違いを見つけてイジメが起こったりするんだよ。そんなの超越して、自分のままでいられたらいい。ここまで理解してくれたら、来た甲斐があったってもんだ。

新潟は杉の木と男の子は育たないなどと、よく言われる。せめて子どもたちは小さくまとまらないでほしいなぁと、小さくまとまってしまった親は思うのだ。