大和跡は熊より隈がいい?

furumachi2012-03-21

老人ホームに高齢者マンション、災害時の食料備蓄倉庫と帰宅困難者の収容施設…。うーん、どうにもワクワク感のない再開発になりそうな。
・大和新潟店の跡地再開発-マイタウン新潟:朝日新聞デジタル
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001203160003

でもそれも仕方のないことなのかも、と隈研吾氏の『新・都市論TOKYO』を読んで思った。読み終えてから知ったのだけど、この本の内容はほとんど全文丸ごと集英社のウェブに載ってるんだね。まあ、いいけど。
・新・都市論ウェブ-TOKYO  --隈研吾・ 清野由美
http://www.maru.bz/shueisha_shinsho/column/toshi/index.html

この中で隈氏は、都市の再開発を檻と熊に例えてこう語っている。檻(再開発)にコストがかかりすぎるあまり、そこに揃うテナント(熊)は高級ブランドや高級賃貸マンションなどにどうしても偏ってしまいがち。本来の都市が持つ雑多さが失われ、ここに都市の再開発の限界があると。

それでも高級ブランドや高級賃貸マンションなどの高い家賃が期待できるだけ、東京はまだ再開発の余地がある。新潟のような地方都市、特に古町でこの手法は難しい。となると、どうしても行政頼みになってくる。そこで老人施設や防災施設、という話が出てくる。行政が熊になるというわけ。

でも街の魅力や賑わい作りとして、これでいいの?という思いもある。西堀ローサの公共施設部分の閑散ぶりを見ていると…。隈氏は代官山の周辺、目黒川沿いで自然発生的に賑わいを見せるヒューマンスケールの街を見て『こういう「村化」の動きこそ、 都市再開発で最も重要な要素』と話す。

古町ど真ん中の大和跡も「村」を目指す方がいいんじゃないかな。ここで言う「村」とは、ヒューマンスケールで生活寄りな街のあり方。ここ最近の古町では、小さな個人商店の個性で引っ張っている部分が強くなっているように思う。大和跡もいっそ、古町「村」の延長線上で考えたら?

今の建物を壊し、小路を巡らせて小さな個人商店や市場ベースで街を作ってしまうか。でもこれでは事業主がどうやって投資を回収するんだ、って話になる。「村化」と投資回収のバランス…。隈氏は何らかの解決策をお持ちだろうか。続編の新刊「新・ムラ論TOKYO」を読むことにしたい。

この「新・ムラ論」も集英社のウェブに載ってるんだなぁ。
・新・ムラ論 NIPPON ー 隈研吾|清野由美
http://www.maru.bz/shueisha_shinsho/column/shin_muraron_nippon/index.html
どうやら一章ずつ小出しにしていくようで。一気に読むなら本でどうぞ、ということみたい。なるほど。