今年最後の夕日と日の丸

furumachi2011-12-31

かつては家並みが続いていた海岸沿いの集落跡。何もなくなってしまった交差点には、今年最後の夕日をあびて日の丸がはためいていた。

今年も年越しは福島浜通りで。結構誤解されてるけど、津波の直撃を受けた地域はようやくがれきなどを片付けた(というか、仮置き場に寄せ集めた)ところで、まだ復旧復興にはほど遠い。高速道路などはまだ凹凸だらけだし、仙台空港の近くには津波で流されたクルマが大量に放置されてる。これが現実。

でもほんの少し離れただけで、すっかり日常の光景が広がっている。仙台空港近くのイオンは年末年始の買い物客でにぎわっていたし、妻の実家も普通に年末を迎えることができた。時々放射線量が話題になるくらい。「一時は(自営の)会社を解散しなければならないかと思った」とも話していたけど。

同じく「被災地」として見られるほんの近くのエリア内で、この違いはあまりに大きい。家だけでなく全てを流され仮説住宅で年を越す人たちは、放射線量よりも心配なこと、不便なこと、不安なことだらけなはず。でも結局のところ壮絶な体験をした人と、全く同じ思いを共有するのは無理かなと思っている。

この日の丸の旗にどんな思いが込められたかは分からない。でもこの思い、来年は少しでも前進してほしいと願っている。