古町はまち、本町はちょう

忠蔵町に祝町、寄附町…。新潟シモマチは古い町名が今も使われている。「京都の通りの名前はそれ自体が京ことば」というのを聞いたことがあるけど、新潟シモマチもきっとそう。こういう町名は大切にしていきたい。

今日から始まった「ブラタモリ」第3シリーズ。今夜は、江戸時代に東京中野の広大な敷地にたくさんの犬を囲って飼っていたという「御囲場」の痕跡をたどる街歩き。

中野にそんなものがあったなんて知らなかった。今は中野○丁目という無機質な名前になってしまっている一帯も、かつては「囲町(かこいちょう)」という御囲場があったことを思わせる町名だったそう。こういう歴史を物語る町名って、やっぱり大事なんだよなぁ。

そういえば最近、東京の町名について興味深い記事を読んだ。
"実は、東京の「町」には法則がある。鈴木理生『東京の地名がわかる事典』によると、江戸時代、原則的に「まち」が武士、「ちょう」が町人という区分があったのだ"
・大手町は「まち」か「ちょう」か 読みで分かる出身地 : 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819499E2E3E2E0E68DE2E3E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

大手町は「おおてまち」だから、武士の町。例えば内幸町は「うちさいわいちょう」だから町人の町、ということになるらしい。なるほど。もしかして「まち」は、殿様の家来の武士が待ち構えているから「まち」なのかな? 想像がふくらむ。では「ちょう」の由来は? 全然分からないんだけど。

そういえば新潟のシモというのも、かつてはこの河口近くには中洲=島が点在していたそうで、「島」が転じてシモになったのかなぁ、と妄想していた。ではカミは? やっぱり白山神社の「神」かなぁ…なんて。

ところで東京の「中野」という地名は、新津の石油王の中野家にゆかりがあると聞いたことがある。これはこれで、新潟人としては語り継いでいきたい地名だなぁ、と思ったり。